原街道(白河宿から阿久津河岸)
福島県白河市から栃木県さくら市阿久津河岸までの「原街道」は、奥州街道の脇街道とし
て整備された道である。奥州街道は五街道の一つで奥州三七大名の参勤交代路として人馬、
物資の輸送などが多くてかなりの混雑となっていた。参勤交代と重なった場合は大名荷物
が優先され御廻米がどうしても滞ることになった。特に会津からの御廻米は年間15万俵を
超え米社会として輸送は円滑でならなかったのであろう。正保二年(1645)会津藩主保科
正之が奥州街道に変わる街道として開削したのが「原街道」である。名称については原方
道、原方街道、米街道、米積街道、牛街道、那須原街道、原街道などと呼ばれているがこ
こでは「原街道」で進めていきたいと思います。この街道の特徴は本陣、脇本陣、旅籠な
どが無く米を輸送する問屋が取り仕切っていたようである。

白河から阿久津河岸を歩く。

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平成17年5月18日
白河宿7時〜黒川宿9時41分〜夕狩宿10時17分〜柏沼11時06分〜迯室宿11時
46分〜小島宿12時24分(時間はあくまでも参考時間)
矢板駅5時55分の電車に乗り、白河駅着6時49分。小雨模様なれど折角来たので本陣
跡まで行く。御本陣は「芳賀源左衛門」現在は跡形も無く、時計店と洋品店あたりらしい
ので写真を一枚撮る。向かい合って脇本陣の「柳屋」明治天皇がお泊りになったと言う。
近くに「長寿院」と言う寺があり、山門入り口「殉国者墳墓」の石碑が目に付いたので寄
り道する。戊辰戦争白河攻めの戦死者の墓で、西軍「薩摩27名、長州30名、土佐18名、
大垣13名、館林7名、左土原19名」の未だ20歳前後の若者ばかりが眠っている。
城下町だけに枡形の道で右に左にと曲がり、白河駅の奥に小峰城址を眺める。中町には
「問屋 町年寄 常葉彦之助」の問屋跡があるはずだが判らなかった。左に右に曲がり国
道294号(奥州街道)を行くと、信号機の角に「洋食屋リールエリール」と言う木造建築
の古めかしい建物があり、ここが「原街道」の入り口である。右に小学校、左に白河高校
を見送って真っ直ぐ行くと、やがて東北本線(陸羽街道踏み切り)を渡る。やがてこんも
りした杉の森に出る、ここは子安観世音堂で入り口に馬頭観世音の大きな石碑がある。
戊辰戦争で焼失を免れたという立派なお堂にお参りをしながら一休みをする。
左に三菱製紙の工場と馬鹿でかい「ジャスコ」が見えてくると、国道4号線に突き当たる。
「原街道」は国道を渡り、東北高速道路を潜って上新田に入っていく。忘れ去られた様な
静かな村で、道路わきの堀には鯉やウグイが泳いでいる。各家は花や植木を競っている印
象を受けるほど綺麗である。鎮守の森が八雲神社で傍には多くの供養塔が集められている。
国道に遮られて行き止まりのところにも古峰神社と山神神社が同居?している。1kmほ
ど国道の脇を歩くと、右に街道が分かれる。この付近はいつも交通取締りをしていた場所
で栃木県民には難所の一つと言える。ここは原中の集落で山岳信仰「那須権現」の
一の鳥居のあるところで大正末期まで高湯山、白湯山(茶臼岳)に梵天を担ぎ上げた白装
束姿の若い衆の登山口だそうである。程なく又!国道4号線に合流するが1kmくらい歩
くとモーテル手前に左に下っていく道があるが、これが「原街道」で黒川宿が見えてくる。
問屋は真舟家 母屋と屋敷周りはすっかり改築されて問屋の面影はない。数年前の大雨で
かなりの被害が出たが、部落も河川も見違えるように整備されてしまった。黒川橋を渡る
と急な登りで国道4号線に出る。車の往来が激しいので十分注意が必要である。
数軒の黒木の部落を過ぎると海抜439mの最高所となる。やがて夕狩宿で小学校跡地でゲー
トボールをしていた方々にお話を聞くことが出来た。上の問屋は高久家 下の問屋も高久
家だという。高速道路を潜っていくと、上の問屋は長屋門と倉が残っていて当時の生活が
彷彿させてくれる。下の問屋は改築されて昔の面影を見ることは出来なかった。問屋の反
対側の細い道が昔の街道跡で、白河方面はあの付近から山を越えて道型はあるが今は歩く
ことは出来ないよと教えてくれた。レストランファンタジヤの裏の道が街道で国道4号線
を横切ると柏沼の部落である。蕎麦やのところから下るのが正規の道で部落の十字路の所
に問屋があったという。丁度畑仕事していた方に聞くと、私の家が問屋で渡辺と言う。
昔は長屋門と大きなケヤキが在って残して置けば良かったよという。一番古い道がこれで
二番目がこの上ので、新しいのが国道になるのだと説明してくれた。柏沼から小さな坂を
幾つか越すと、細長い集落の迯室宿 問屋は下の問屋佐藤家 改築された真新しい家で庭
の広さは昔の権勢を偲ばせる。迯室から1kmで小島宿 問屋は渡辺家 道路から覗くと
高い生垣と古木の庭 黒ずんだ倉は鉄板を張ったような造りで時代を思わせる。
今回はここで終了 白河から約16km  黒田原駅まで3kmを歩く。