2000/5/1  会津駒ヶ岳・山スキー

登る 会津駒ヶ岳の前山 登頂 頂上beer
日時:5月1日(月)
山行:会津駒ヶ岳・山スキー
メンバー:梅原(岳友会)、平田、柴田、上野、内田(シャープ山岳部)
記録:平田(シャープ山岳部)
撮影:平田


燧ヶ岳転じて会津駒ヶ岳で山スキー		2000年5月1日
(登りはOK。天気は最高。滑りはボテボテ。)

参加メンバーは

こんなはずじゃあ、なかった昔取った杵柄柴田
相変わらず、マイペースボーダー内田
行き(登り)はよいよい、帰り(滑り)はヨレヨレ梅原
朝起きたら川だった濡れネズミ上野
軽快なビッグフットのはずが平田

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[パンツまでびしょ濡れ]	5/1:4時半起床

「そろそろ起きようや。」という梅原さんの言葉に、起きてみると真ん中に寝ていた
はずの上
野君がいない。
「シュラフが濡れて出て行ったんや。」と一言。
外へ出てみると確かに車の中で凍えて寝ているやつ(上野氏)がいる。
夜寝ている間に、駐車場を流れた水がテントの中にたまり、それをテントに敷いていたシュラ
フが吸って、さらにそれを上野君のシュラフが吸い、さらにそれを上野君のズボンが吸って、
それをさらに上野君のパンツが吸って・・・という事件があったらしい(やたらとながーい文
章じゃ)。結局のところ、パンツまでびしょ濡れの上野君がそこにいたという訳である。
隣に寝ていた二人はシュラフカバーを使っていたのと、ザックを背中に引いていたこともあり、
何ともなかったのが幸いだった。ホントにねー(俺じゃなくて良かったと2名心の中でうなず
く。)

テントを抱え上げると入り口の所から水がザザッーと流れ落ちる。ゲゲッ!
ひとしきり水を出したテントに入り、朝食を取る。平田のかあちゃんのお握りと柴田君が買い
だしてきたぜんざいを食べ、(ドリップした)コーヒーを飲んだ後、会津駒ヶ岳登山口の駐車
場へと車を移動させる。


[会津駒ヶ岳]

そう、今回は会津駒ヶ岳である。いつもの燧ヶ岳は雪があまりに多いため七入のところで通行
止めになっており、それでやむなく、会津駒ヶ岳になった次第である。
もっとも矢板岳友会の情報で事前に分かっていたため予定通りであると言えなくもない。
ただ、この影響で現地集合となっていた神谷君が落ち合える場所が分からないために参加取り
やめとなったのが残念である。(今時携帯電話も持っていないなんてね。ちなみに他の参加メ
ンバーも誰も携帯持っていませんでした。もっとも持っていたとしても通じる携帯があったか
どうかは疑問だけどね。)


[登り出し]	6時20分出発

雨だったらまっすぐ帰ろうと思っていた固い決意もさらりと流し、高く晴れ上がった空の下、
元気に登り始める。登山口から20mも入ると既に除雪はされておらず、雪に埋まった林道を
トレースしていく。
内田君のスノボーのバランスが悪そうなので、付け直す。また、ここで平田が(雪目防止のた
め)ゴーグルを柴田君から借りる。
すぐに林道を外れてスキーの跡がある沢筋を登っていく。
途中、林道に出会うと、今度はどんどん急になっていく斜面を避け、林道へ戻り、途中の階段
のところから登山道に入っていく。
しばらくの間、雪がなかったが、ヘリポートに着く頃には深い雪となっていた。(会津駒ヶ岳
ではかつてヘリスキーをやっていた。)
振り返って下の方をのぞき込むと右手の方へ尾根が伸びている。帰りはこっちの方が良さそう
だ。
途中、多めに休みを取りながらも順調に高度を上げていく。登りが急な分、一気に高度を稼い
でいる感じがする。

途中から高度障害のためか(これはウソ、実は単なる運動不足が原因)、柴田君が遅れ気味と
なる。


[スノーボウル]

稜線へ出ると素晴らしい景色が目の前に広がる。
雪をまとった会津駒ヶ岳は真っ白で、大きなアイスクリームのようだった。
その白いスノーボウルには、燧ヶ岳では感じられない美しさがあった。
(これが滑ってみた後では印象が一変するのだが。)

駒の御池がある辺りの場所で一休み。
駒の小屋の屋根が見えている。総2階建ての大きな建物だが、屋根だけが見えている。回り込
んで行くと駒の小屋の入り口へと雪の階段が下っていっているのが見える。
かつて話に聞いていた雪国の暮らしのそのものってな感じで、とにかく半端な雪の量じゃない。

昼食を取った後、最後の登りに取りかかる。
登っていくとその丸い頂上は段々と傾斜を緩めていく。
また、そのことで頂上が近づいているのが分かる。
最後の登りは、登ることが楽しいと感じられるような気持ちのいい登りだった。
どんどん登っていくと先に登っていた内田君の頭が見える。
頂上である。
もっとも、どこが頂上かよく分からないその平らな頂上は「頂上は自分で決める」そんな頂上
であった。

会津朝日から丸山岳、坪入、窓明と続く南会津の山々が見える。どこが窓明でどこが三岩かは
よくは覚えていなかったが、懐かしい稜線である。
平ヶ岳もボリューム感があり、立派である。さらに越後三山は圧巻である。
周りの山が立派な分、尾瀬の山の形の悪さが見えてくる。会津駒ヶ岳から見る至仏山も燧ヶ岳
も山としての形はあまりよくないのが分かる。特に会津駒から見る燧はまないた〓と芝安〓の
アンバランスが顕著に見える。


[滑る/あるいは滑らない/またはもぐる]

滑り出しはとってもGOOD!
ゲレンデスキーを履いた上野君や、山スキーを履いた柴田君がどんどん下まで滑り降りていっ
た。
ボーダー内田が滑り降りていった後、取り残された二人のビッグフット(ミニスキー)スキー
ヤーもよちよちと滑り出す。
梅原さんも昨年よりは滑りやすそうだ?

ところが、左側の白い斜面を滑ってみる。とたんに様子が違うことに気づかされる。
「お・も・い。」この一言につきる。
しかも変に柔らかいためスキーが沈んでしまう。
昨夜の雨を吸った重く白い雪がビッグフットをどんどん飲み込んでいく。
モーグルじゃあなくて、もぐーるだ。
こんなんじゃ、たまらないとばかり、右側の塵埃が着いた茶色っぽい雪に逃げる。

一旦頂上から滑り降りた後の平行移動(トラバース)がまた、さらに大変だった。いきなり
ビッグフットの先端がもぐってしまい、転倒。その後も何度か転びながらスキーを履いたモグ
ラのごとく、移動していく。
あんなに素晴らしい斜面に見えたのに、こんな地獄が待っていたとは!
通常のコンディションであったなら、こんなに酷いことはなかっただろうと思う。


[転んでは起きあがりこぼし]

その後もいつものように「転んでは起きあがりこぼし状態」で下っていく。

樹林帯に入っても、狭い尾根と滑らない雪は(藪は雪に埋まってしまって)疎林であるにも関
わらず、スキーを非常に滑りにくいものにしていた。
通常であれば、尾根の左右の斜面を自在に滑れたであろうはずが、尾根筋は坪足の跡があり、
足を取られるし、一旦尾根から外れると、滑らない雪のため尾根に戻るのが一苦労だ。
尾根に戻るために走らないスキーを走らせながら歩いていく訳だが、すぐに先端がもぐってし
まい転んでしまう。
「ミニスキーは軽快だ。」なんて言っていたのはいつのことだったのか。

ヘリコプター乗り場?から下の、急に思えた斜面は思いの他、滑りにくいことはなかった。逆
に坪足の跡がなかったため(この部分は登りのルートとは異なっていたため)そこで足を取ら
れることはなかった。坪足では足を取られなかったが、デブリ(雪崩の痕)では足(ミニス
キー)を取られてインナーブーツが2度ほど脱げかかってしまった。
もっともこれには理由があって、平田の登山靴は積雪期用の2重靴になっているのだが、外側
のプラスチック部分の上半分が壊れてしまっており、かろうじてビブラムソール(底のゴムの
部分)でつながっているだけだった。
ちょうど子供用のパンダスキーと同じ状態である。

常に下りのトップは上野君、しんがりは梅原さんという隊列を崩さず、何だかんだ言いながら
も遂に登山口に到着。
滑りは最悪だったが、久しぶりに登った会津駒ヶ岳はやっぱり面白かった。

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[良かったこと]
絶対登るという信念(これもウソ)が好天を呼んだこと。
何だかんだ言っても会津駒ヶ岳は良い山であること。
おしまいに風呂とソバが付いていること。
梅原さんの情報で神谷君の現地集合を取りやめたこと(これは賢明だった)。

[まずかったこと]
雪の残った駐車場にはテントを張るべきではない。
 &わざわざ、水が流れた跡があるところにテントを張るべきではない。
残雪期は何と言っても山スキーは不向きである。重い荷物ならついでにスキー靴を持っていく
べきであろうし、荷物を軽くしたいのならミニスキーが望ましい。





                         ひらた しゅうじ